小石川33a 掲示板 13910


会津若松 いまむかし(4)

1:矢嶋壯吉:

2024/04/25 (Thu) 15:55:52

 阿部さんからのメール 4/20(土)11:04

皆さま
会津若松について、池辺さんの記事拝読、なるほどと感じること多く、50年前に書かれたものとは思えない内容で、面白く感慨深く、読ませていただきました。
皆さまそれぞれに思い出がおありのようですね。私も2~3回訪れたことはありますが、観光で行ったのは一度だけ、あとは撮影などの行き帰り、白虎隊の故地もあまり深くは考えず立ち寄った感じでした。
そういえば喜多方か若松でにしんそばを食べたことがあり、あれは京都の影響だったかとふと思い出しました。
因みに主人の郷里は長州ですが、私は長州・会津いずれにも関係ありません。

矢嶋からのメール 4/20(土)13:43

池辺君 皆さま
 楢戸君の呼びかけで青山君の会津若松旅行記で始まった会津をめぐる各人の思い出メールのやり取りが「ある町の百年 会津若松」にたどり着きました。池辺君の名文をしっかりと読ませていただきました,会津に親近感をもつ私にとって大層有難いメールのやり取りになりました。
池辺君ありがとう。
 司馬遼太郎の「王城の護衛者」を本棚から探し出して再読しています,「北のまほろば」には斗南で艱難辛苦したという会津藩士たちの話も出てくるのですか,こちらも読んでみたいと思っています。 4月20日 

楢戸君からのメール 4/20(土)17:51

楢戸です。
池辺さんの「ある町の百年、会津若松」、興味深く読ませていただきました。
記事を書くためにこんなに調べたり色々な方に会ったりするんですね。
私の泊まった家も、元は会津の漆器屋さんで、奥に白壁の大きな土蔵がありました。
私の従兄弟2人は父親の知り合い(元軍隊時代の部下)が福島県の知事だったので県庁に入りましたが、2人ともお役人にぴったりの人で父親そっくり、ああいうのを「会津っぽ」と言うのでしょうか。
今度行った時は喜多方ラーメンはやめて会津の京都風の料理を食べ、旧市街地をゆっくり散歩してきたいと思いました。

楢戸君からのメール 4/20(土)21:56

楢戸です。
東北方面は春は桜を追って、秋は紅葉を出迎えに、夏は車で北海道に行く途中で、毎年旅行していましたので、ほとんど各地をドライブしているのですが、「斗南」という地名は聞いたことがありませんでした。ネットで調べたら戦争に負けた会津藩が斗南に移封させられて斗南藩となり、廃藩置県で斗南県となった後、青森県に編入されたみたいですね。
場所は今の「むつ市」とその周辺で、下北半島全体が斗南藩だった様ですから、恐山や仏ヶ浦観光の時や下北半島の大間から函館にフェリーで渡る時はいつも通っていたのでした。
あの辺りは陸奥湾を挟んで反対側の暖流が流れる津軽半島と違って、寒流の影響で気温が低く米が獲れない不毛の地帯だったと地元の人が言っていましたから、移住させられた会津藩士は矢嶋さんの話の通り「艱難辛苦」したのだろうと思います。(昔は米が今の現金で、武士の給与も「石」で表していた?)

  • 名前: E-mail(省略可):
  • 画像:

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.