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会津若松 いまむかし(2)

1:矢嶋壯吉:

2024/04/24 (Wed) 12:30:14

矢嶋からのメール 4/16(火)15:27

 お孫さん一家との会津若松旅行の様子を綴られた長文興味深く読ませていただきました。私が初めて会津地方を訪れたのは大学3年の夏でした,卒業論文のフィールドが奥会津金山町横田という只見川沿いの地域で開発中の黒鉱鉱床(銅・鉛・亜鉛)鉱山周辺の地質と鉱床成因探求が課題でした。当時国鉄只見線は会津若松から会津川口まででまだ蒸気機関車の時代でした。もちろんエアコン無しでトンネルに入るたびに窓を開け閉めしても汽車を降りたらシャツに灰がいっぱい,灰色になっていて参った(今考えると大変貴重な贅沢ともいえる体験でした)。これに懲りて2回目以降は3時間以上もかかるバスに切り替えたりしたことが思い出されます。会津若松には仙台~横田の行き返りの途中一回だけ七日町の旅館に一泊してお城やさざえ堂などを見学した記憶があります。その後は会社の出張で喜多方熱塩の日中ダム建設工事現場や会津本郷地滑り調査・第二沼沢沼(揚水式)発電所建設工事現場などへ行った折にもっぱら暗くなってからのひと時地元銘酒を飲み交わして過ごすという会津若松市滞在だけ。5,6年前に只見線を撮るという会津若松駅集合の撮影ツアーに参加した折,1日先行して,猪苗代町の立沢不動滝に寄り会津駅前のホテルに宿泊したこと,そしてもう7,8年前になるかなあ只見線が2011年夏の豪雨で会津川口~只見間が不通であった頃小出~只見(只見線),只見~会津川口(代行バス),会津川口~会津若松(只見線)と乗り継ぎ,只見町の温泉と会津川口から南下した温泉宿と二泊しての妻との二人旅,この時は会津若松は単なる乗り換えで駅前から白虎隊士の像を眺めただけでした。
 全通した只見線小出~会津若松を乗りに行きたいなあと思ってはいるのですが,果たして叶えられるかどうか?
 ところで小原庄助さんが高遠出身だったは知りませんでした!新知見です。
 貴兄の会津旅行印象記を読んで会津地方を訪れたことが懐かしく思い出されなんともまとまりのない話の羅列となりましたが私にとって会津地方は少なからぬ縁のある場所です,何故かいつの間にか家には大小・形いろいろの“赤べこ”がたくさん集まっています,これらの赤べこ群を写真に撮って貼り付けた2年前の年賀状は意外と好評でした,ついでの話です。

楢戸君のメール 4/16(火)17:35

青山さん;
楽しい旅行記ありがとうございました。
私の滞在は中学生の夏休みに伯母の家に1週間ほど泊まっただけで、印象と言われてもほとんど記憶に残っていません。伯母は会津塗の漆器屋に嫁いだのですが、その頃はもう漆器の作成はやっていませんでした。ご主人は旧陸軍の大佐殿で、今思えば軍人恩給で暮らしていたのでしょうが、いつも正座して書見台で読書していました。(会津藩士の風格)街の雰囲気は京都や津和野の様な古い家が建ち並び江戸時代の雰囲気が残っている感じでした。2~3百年たっても家が壊れないで残っているのは、京都もそうですが、材料や建て方
にお金をかけたからだと思います。江戸時代は草葺屋根で土間で生活しているのが一般的だったのでしょうから、庶民があんな家に住んでいたのなら他と違って裕福だった?
先日日光から会津に向かう「会津西街道」をドライブしたのですが、そんな名前の街道が今も残っているのが不思議でした。江戸から北に行く主要街道の「日光街道」は徳川家康を祀る日光東照宮があるからわかりますが、青山さんの旅行記を見て、会津も江戸時代の重要拠点だったことがわかりました。
楢戸君のメール 4/17(水)06:42

楢戸です。
矢嶋君が東北大学在学中に只見線沿線あたりに行っていた話は前に聞いたことがあります。
私も只見川添いの小出~会津若松の国道252は何回か通ったことがありましたが、並行で走るJR只見線は乗ったことがありません。
国道と只見線では違った景色なんだろうと思って調べてみたら、只見線は佳境の田子倉湖あたりはほとんどトンネルなんですね。あのあたりは豪雪地帯で冬季は国道は閉鎖になりますが、JRが通れるのはトンネルだからということがわかりました。
前にも話したかも知れませんが、あの沿線の小出側の大白川にある民宿に山菜料理を食べに何回か泊まったことがありました。そのまま関越道を帰るのもどうかと思い、福島県側の白濁硫黄泉経由で帰るのですが、途中の曲がりくねった山岳道路も中々でした。
矢嶋君のメールを見て今年は久し振りに新緑の頃行ってみたいと思います。民宿のご主人とゴルフをする約束も果たせていませんし。
前にJR只見線は運賃100円稼ぐのに費用が300円かかる大赤字路線と聞いたことがありますがホントなんでしょうか。

青山君のメール 4/17(水)16:32

矢嶋君、楢戸君
私の「会津若松」の感想をお寄せいただき、ありがとうございました。
矢嶋君は、東北大学在学中からすでに会津と様々な縁をお持ちと知りました。会津というより、その先の只見線かもしれません。
今回の私の旅行でも、同じボックスに乗り合わせた、初老の男性(60代後半か70代)と話をしたのですが、彼は、これから只見線に乗りに行く、と嬉しそうに言っていました。
小出まで行って泊るのだそうです。磐梯山は、いつも右の車窓から見え、近づいてやがて遠くなって見えなくなるが、列車がカーブするので、また近くに見えますよ、と教えてくれたのも、その人でした。自分は乗り鉄だが、写真も撮る、と言って大きなカメラを見せてくれました。「矢嶋君と同じだ、第一線を退いてからこういう人生もあるのだ」、と私は思いました。
楢戸君の会津地方とのかかわりは、中学時代の会津滞在を別とすれば、その周辺の道路をもっぱらクルマで走ったり、泊ったりという関係のようですね。最近も日光から「会津西街道」をドライブされたとか、その元気に脱帽です。
会津西街道といえば、コロナ前に、私も、家内と一緒に日光鬼怒川へ車で行き、翌日、三依水生植物園の「青いけしの花」を見て、帰ってきましたが、途中で、「奥会津へ」という標識があり、日光と会津は、意外に近いのだ、と思ったことがあります。
若い頃には、ドライブする元気はあっても、その時間とお金がなく、今は時間とお金があっても、その元気がない私です。
今も三拍子揃って、走り回っている楢戸君に、乾杯です。 4月17日 青 山

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